祖母の1周忌。
大好きなおばあちゃんが亡くなってから丸1年が経ちました。
誰もが通る道だと思うけど、私にとって一緒に住んでいた身近な人が亡くなるのは初めてのことだった。
もう、とっくに受け入れているつもりなんだけど、1年経った今でも夢に出て来ては、目が覚めて、あぁもういないんだ。と、落胆する日々が依然と続いています。
「喪失感」ってこういうことなんだな。
また一つ大人になって知る感情もあるんだなと感じます。
でも、だからこそ、家族や兄弟、そして身の回りの友だちを、もっと大事にしようと思うようになって。
そういう気持ちを持てるようになったのも、きっとおばあちゃんのおかげなんだよな、と、まだまだ寂しいけど感謝の気持ちのほうが大きいです。
そして、お葬式や先日の法事の時に初めておばあちゃんが90余年もの間、どういう人生を歩んで来たのかを知って、ずっと一緒に住んでいたにもかかわらず、おばあちゃんのこと、何にも知らなかったんだなって思うのです。
身近すぎるから、甘えてしまって、自分ばかりが求めてしまって、相手も1人の女性、1人の人間であることを向き合って考えもしなかった。
子どもだったからしょうがないと言えばそれまでなんだけど、おばあちゃんがいて、代々受け継がれてきたこの血が、DNAが今の自分を存在させてくれているということを忘れてはいけないなと、人生を丁寧に大事に生きないといけないなと、改めて思うことができました。
最後に会った時、いつものように「またね」ではなく、「ありがとう」って言ってくれたおばあちゃん。
まさかもう会えなくなるなんて思わなかったから、「また来るね」で返してしまって、結局言えなかった「ありがとう」の言葉。
今はずっと思っています。
ありがとう。
いつか会えたらちゃんと言うからね。
ありがとう。